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「“生まれた者は必ず死ぬ”という道理を、だれ一人知らない者はない。しかし実際に、このことを重大事と受け止め、このことを嘆く人間は、千万人に一人もいない」。「死を忘れた文明」といわれる現代においては、ますますその重みを増している。
そもそも、死は誰人も逃れられないものであり、いつかは全員が向き合わなければならない人生の根本問題です。
昔は、自宅で看取ることが当たり前でした。
旅立つ人にとっては、次第に体の自由がきかなくなり、食べ物が喉を通らなくなり、体もやせ細っていきます。その中で、共に暮らしてきた家族に、自らが生きてきた証しを残すように言葉を掛け、最期は自宅で死を迎えます。
一方、残される家族にとっては、日々衰えゆく姿と向き合いながら、徐々に気持ちを整理していきます。そして最期は手を握り、声を掛け、やがて別れの時を迎えるのです。
その過程は、とてもつらいものですが、死と向き合うための大切なプロセスです。
現代は、そうしたことを踏まえ、在宅医療が進んでいるものの、自宅で亡くなる方は、まだ13・6%にすぎません。
なぜ人は死ぬのか
人間の死は、臨床的に、呼吸停止、心臓停止、脳機能停止(瞳孔散大と対光反射の消失)の三徴候を判定基準としていますが、そもそも私たちは、なぜ死ななければならないのでしょうか。
私たちの身体は、37兆2000億個ともいわれる細胞で構成されていますが、その一つ一つの細胞に「死」の仕組みが備わっているからです。
実は、このプログラムがないと、私たちは生き永らえることができません。
細胞は、さまざまなストレスにさらされ、傷つくことがあります。それを放置してしまえば、ウイルスや細菌などの外敵がそこから侵入し、身体全体に悪影響を及ぼしてしまうので、傷ついた細胞は死んで、新たに生まれた細胞と入れ替わっています。
事実、こうした働きによって、胃腸の内壁細胞は数日、白血球は約3日、皮膚は約28日、赤血球は約120日というサイクルで、細胞が生死を繰り返しながら、私たちの身体は維持されています。
ただ、それにも限界があります。細胞は分裂を繰り返すほど、遺伝子のコピーミスが起こり、がん細胞が生まれてしまうリスクが高まるからです。がん細胞も結果として私たちの身体の調和を壊してしまうことから、そうした細胞になってしまう前に、一つ一つの細胞には、アポトーシスといって、周囲を守るために自ら死を選ぶプログラムがあることが知られています。
細胞レベルで死を免れることができない以上、その細胞で構成される私たちも、死から逃れることはできません。しかし、そうした細胞の“利他的な働き”があるからこそ、私たちの身体の「生」は守られているのです。
永遠に生死を繰り返す生命
一般的に、多くの人は、「死」に対して、次の二つの考えを持っています。
一つ目は、死ねば心身ともに一切が滅びるという考え。つまり、生命を「現在世だけのもの」とする考えです。
二つ目は、死んでも肉体とは別の霊魂のようなもので、それが続くという考えです。
しかし、一つ目の考えでは死への恐れを助長するだけで、「今さえよければいい」という刹那的な生き方や「どうなってもいい」という自暴自棄の生き方につながっていく可能性があります。
そして二つ目も、死を受け入れることはできず、かえって今の自分への執着を増し、迷いを深めるだけに終わってしまう恐れがあります。
生命の因果は現在世だけのものではなく、過去世・現在世・未来世の三世にわたるもので、過去世の行為が因となって現在世の結果として現れ、現在世の行為が因となって未来世の結果をもたらすという思想です。すなわち、生と死は断絶したものではなく、永遠に生と死を繰り返していくという生命観です。
この思想は、旅立つ側、見送る側の双方に力を与えるものだと痛感します。
旅立つ側にとってみれば、現在世の終わり方が未来世の始まりを決めるという意味で、最期まで「生」を全うすることができます。
見送る側にとってみれば、亡くなられた人の「死」は敗北でも悲劇でもなく、次なる「生」への瑞々しい出発であると思うことができます。
訪問診療医 松﨑泰憲さん
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