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丸ごと受け入れること
こだまとは、「ヤッホー」と言ったら「ヤッホー」と返ってくるように、相手の存在を“丸ごと受け入れる”ことです。
僕は今、小学生に講演する機会が多いのですが、子どもたちに「みんなが転んで痛い時、『痛いね』と言われるのと、『痛くない』『がまんしなさい』と言われるのと、どちらのほうがうれしい?」と聞きます。
全員が「『痛いね』と言われるほうがうれしい」と答えます。
さらに「みんなのお父さん、お母さんは、どっちかな?」と聞くと、多くの子どもたちが「『痛くない』『がまんしろ』って言う」と語るのです。
かつて、私たちの周りにいてくれた大人たちは、こだましてくれる人たちでした。転んで「痛い」と言った時、その痛さを丸ごと受け止めてくれ、「痛いね」と返してくれました。しかし、私たちは、いつしか自分のことで精いっぱいになり、こだますることをしなくなりました。
わが子が転んで「痛い」と言った時、「痛くない」「がまんしなさい」と言っていないでしょうか。一方的に否定し、一方的に励ますことで、「痛みは消える」「痛くなくなる」と思っていないでしょうか。
このお父さん、お母さんなら愛してくれる――こう思って生まれてきてくれた子どもたちです。本当に残念ですが、わが子さえ“丸ごと受け入れる”ことが難しい時代になってしまった。「自分は自分」「他人は他人」と割り切って生きる時代になってしまった。
相手が「つらい」と言う時、「つらくない」「頑張りなさい」と言うのは、言葉のいじめです。僕を含めた多くの人たちは「忙しい」ことを理由に、他者を“丸ごと受け入れる”ことを避けているのかもしれません。「忙」という字は「心」が「亡」ぶと書きますが、他者の存在が自分の心の中に存在しなくなったら、世知辛い世の中になるだけでなく、それは残酷なことではないでしょうか。
痛い時に「痛いね」、つらい時に「つらいね」とこだまし、うなずくことが本当の優しさなのです。
「優」という字は「人」偏に「憂」うと書きます。
人を憂う――人の喜びを自分のことのように喜び、人の悲しみを自分のことのように悲しめる心が「優しさ」なのです。相手を丸ごと受け入れ、こだましてあげることが「優しさ」なのです。一方的な励ましなんか必要ありません。その人の側にいてあげるだけでいい。「あなたは一人じゃないよ」との心が伝わればいいのです。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬(ば)鹿(か)」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰(だれ)でも。
いてくれるだけでいい
子どもの心は「灰色」で生まれてきたと思っています。「真っ白」という人もいますが、真っ白な心ではかわいそうです。少しでも汚れると、全体が汚れてしまうからです。だから灰色です。黒と白で一つなのです。灰色という状態だから、白くもなれば黒くもなる。どちらの色が支配的になるかは、周りの大人の責任です。
私たちを含め地球上の全ての存在は、地球というお母さんから生まれました。“地球のお母さん”は、地球上に一つとして無用な存在はつくっていません。地球上の全ての存在が“地球のお母さん”の子どもとして共に生きているのです。生きているのではなく、生かされているのです。だから、存在してくれるだけで百点満点なのです。
にもかかわらず、“地球のお母さん”の最後の子どもである人間だけが傲慢なことに、自分たちのお兄さんやお姉さんの存在価値に勝手に点数を付け、「これは役に立つ」「これは役に立たない」と自分中心に判断している。だから、地球や自然を平気で傷つけることができるのです。
この「自分中心」「人間中心」のまなざしを変えない限り、人間は近い将来、“地球のお母さん”から置いてもらえなくなるでしょう。
20世紀――私たち人間は「自分中心」「人間中心」で生きてきました。このまなざしを変えられるかどうか。これが21世紀の勝負です。
金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫さん
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